ひみつきちのーと

発達生がいとアダルトチルドレンを疑い、イマジナリーフレンドがずっといる私のノートです。思ったことや変な話をします。過去の話をします。自分でも変だと思ってるので、書き出して残して整理してます。思い返せば、結構ハードな人生だと感じますが気合いでやってきて今は色々克服して楽しく過ごしてます。こんな人生観でこんな人生歩んでる奴いるんだなーて感じで見ていただいたり、同じ境遇の方がいれば何か参考になれば良いなと思います。また、書いてる変な事や経験に関して、何か知ってる事があれば教えていただきたいです。

私の幼児期の話

私の過去について整理と折り合いをつけるのも兼ねて話します。

今回は、私が産まれてから小学生に入るまでの話です。

私が覚えているのは、2.3歳頃からです。

 

2.3歳頃

大抵の人と同じように両親に愛され普通の生活を送ってきたと思います。

親曰く、全く泣かない子(例え転んでも)で赤ちゃんの時は、ミルクの時間になっても起こさないといけない程、いつ如何なる時も寝ていてすごく楽だったそう。

2.3歳の頃は、何故か当時の憶えていることのどれもが天井から自身を見ているものばかりでした。今でも不思議です。自身と言うか他人の生活を覗き見てる感覚で「いいなーいいなー」ってずっと思ってました。そこから段々自身に近付く感じになって、途中で一人称視点の見え方になりました。

あの時は、玩具で遊んでいる記憶と、1つ印象深いのがあって、

塗り絵で遊んでいたら、赤ちゃんの妹が泣きました。親があやしに行ってと私に言い、ゆりかごを揺らしに行きました。その後、塗り絵をしに戻ったら妹が泣く、あやしに行く、塗り絵をしに戻ると泣く、あやしに行くの繰り返しでなかなか塗り絵が出来ないってのですごい嫌だったのを覚えてます。

そのよく覚えてる記憶も、何度思い返しても天井から一様を見ているんです。

幼少期の私は、よく思い出に浸ると言いますか、どんな事でも忘れたくないから思い返すようにしてました。

その時でも、天井からの視点でした。当時は、ホームビデオを見てた記憶なのかなって思ってました。小学校高学年くらいでやっと"天井にカメラなんかつける訳ない"ってなって、じゃあこの記憶は何?!?!ってなって今でも不思議です。

 

4.5歳頃

認識力も上がる年。覚えている事も沢山あります。ここからの記憶は一人称の視点と天井からの視点とごちゃごちゃです。

ちなみに、解離感はものごころついた時からあって、そのためか当時は気にしていませんでした。

 

母親の教育

母親は、いわゆる教育ママで過干渉。飴と鞭を使い、出来ない事があったりほんの少しでも良くない事をすると、怒鳴ったり引っ叩いたりしていました。初めは、頭を平手打ちされてましたが、途中で、頭を叩くとバカになるらしいから次からは頬を平手打ちするわって謎宣言されました。意味分からなすぎて私は恐怖を感じました。

また、母親は思った事をはっきり言うタイプ。感情がストレートにでる性格です。

当時はそれが「人」として普通なんだと思っていたし母親がそんな性格なんだとは知らなかったから、ただただ自分が正しい事をしていないから普通じゃない事をしたからだと思っていました。

[周りの人とあまり関わらない歳の子どもだから当たり前で、この時(5歳までの基盤が出来る歳)での大人(特に親)の接し方次第で今後の人へ印象や信頼が大きく左右されます。それは保育の話としても基本的な所であるし、黒歴史ノートの最後のページを見た人は分かるかと思いますが私が身をもって体感しました。]

 

母親の謎教育で1番よく覚えているのは、ひとつ、ふたつ、みっつの数え方を覚えるために、"とお"まで言えるまで寝かさないと言われ、眠い中、言えるまで唱えさせられた事。

いつまで経っても言えない私に、母親は1ミス1ビンタのルールを儲けだします。

夜、眠い中、私は半泣きになりながら唱えてました。当時は、地獄を見た気分だったし、大きくなって思い返す度におかしいやろって思います。

ちなみに、全く覚えられず小学校2年生頃になって、運動会の玉を数えているうちに覚えてました。

 

 

問題児な妹

当時、妹はよく癇癪を起こしていました。

私の妹は、自閉症スペクトラムアスペルガー症候群の併合のグレーゾーンだと聞いてます。

ADHDもあったのかな??

診断されるのは、十数年後になりますので、まだ妹が発達障がいだと分かっていない状態ではありますが当時から症状が大発揮されていました。なんなら、保育士から怪しいと言われていたみたいです。だから親も薄々勘付いていただろうに何故そのまま突っ切ったのか…。

後々書く事になりますが、それで私も当人も苦しむ事になります。

 

妹が良くない事をしていたり、私に嫌なことをしてきたりした時は、言葉で伝えても聞かないし辞めない、分かりやすく怒っても一緒です。

私の主張がエスカレートした所で泣かれて、結局私が怒られて終わりです。

私が怒られて落ち込んでいたりしても、お構いなしに...というかわざと煽っているかのようにわざわざ私の近くで大きな声で楽しそうに歌い遊びだすなんて事もよくありました。

幼いにしても、話なんか通じる相手ではありませんでした。

 

それなのに何故、発達障がいだと分かっていなかったかと言うと、親にはバレなかったからです。

共働きだったからか妹の面倒をほとんど私が見ていて親は、妹が演じる良い子の部分しか知らないといった状態でした。

実際はどうか知らないけど、親と妹が遊んでるところ、2人でコミュニケーションをとってる所を私は見たことがない。

 

先ほど書いた通り、母親は怒らせると躾と称して暴力を振るいます。発達障がいの子が良くやりがちなのですが、自身を守るためなら、平気で嘘を吐きます。その場しのぎで良い子の振りをします。よくあったのは、玩具を片付けるべき時に、私だけ片付けて、妹は遊び続ける。親が来た時だけ妹は、片付けをし私に片付けてと言うなどして、初めから片付けていたように装ってました。親はまんまとそれに騙されてきてました。

私は心の中で、妹の事を"猫被り"と呼んでました。

 

後、妹を持つ人なら、沁みるほど分かると思うのですが、自分の都合が悪くなると嘘泣きをします。

これで綺麗に大人を騙していました。

周りから見れば、弱い者いじめしているように見えるのでしょう。

それに加え、当時の私は気が強い方で何されても悲しんだり怖気づく人間ではありませんでした。

 

[妹]心ない言動をする→[私]怒る→[妹]泣く→[親]一連の流れを見ていないので私に怒る

 

こんな流れがいつも出来上がってて原因がどうであれ、全て姉である私が悪く扱われ怒られました。

妹はそれに味を占め、小学校高学年入るくらいまで嘘泣きを続けていました。

妹が大きくなるにつれ、周りの人たちも流石におかしいと感じ、嘘泣きだと相手にされなくなってから泣かれることは減りました。

 

妹から嫌な事をされた時、母に相談したことがありました。

でも信じてくれなかったのかなんなのか、この歳なら当たり前にやるやら、無視しときなって言われて軽くあしらわれるだけでした。

もやもやしました。

もう当時から親にも通じないと信頼があまりなかったので、妹のことで親に話すのは辞めました。

周りが私が悪いと言うのなら「そうですか」って感じで居ました。

またそれから、無視をする事で妹の嫌がらせがなくなる事が分かり、私は嫌な事をされると無視するようにしました。

 

妹のことは当時からずっと大嫌いですが、妹は私の事が大好きらしい。

でも、何かあれば私に「大嫌い」と言ってた癖に大人の前だと「大好き」とか言ってきて気持ち悪かった。

 

妹は、当時のことをほとんど覚えてないらしく、私に読み聞かせをしてもらったり字を教えてもらった時のことと、親にめためたに殴られてる所の2つしか覚えてないらしいです。

 

典型的な駄目な父親(だったらしい)

私の父親は、あまり子育てに参加しないタイプ。家にいる時はゲームばかりしていました。

だから父との思い出は特にありません。

母とは別に、父から不快な思いをされた事がなく、それ以前に関わる事が少なかったので私にとって父親は可もなく不可もなくと言った感じでした。

夫婦仲が悪いというのは当時から知っていました。母の父に対する愚痴は、年々増えてました。

何度か父と母が喧嘩なのか真面目に話している事も知ってました。

私は、父が浮気したんだ!と勝手に思ってました。(実際は知りませんが)

一度、妹と一緒にいる時に真面目な話し合いに遭遇してしまい、妹は騒ぐだろうと思い、言いくるめて直ぐに2階へ上がったのをよく覚えています。

 

父のよく覚えてる良い思い出は2つあって、

1つは母の誕生日にパスタを料理した事。

初めて料理をしている父を見ました。素敵だし、今まで食べた料理の中で1番美味しかった。

1つは私の誕生日になると、プレゼント買ってあげると私を連れて行ってくれた事。

私は当時から、欲しい物すらも人の目を気にして要求出来ない意見を言えない子だったのですが、(そもそも意見を主張することを知らないまであった)

自分の欲しいものをしっかり選んで買ってもらった誕生日プレゼントはこれが初めてでした。

特に服を買ってもらった時の事はよく覚えている。この時も「なんでもいいよーアンの好きなの選べば良いんだよー」って私の話を全部聞いて肯定してくれた。その時は父に気を使っていてなんでも良いって言われて戸惑ってて、嬉しいとか思う状態じゃなかったけど、思い返す度に良かったなーって思う。

 

 

家族への信頼

ありませんでした。

母も妹も言葉と行動が矛盾している時が多々ありました。

妹は言わずもがなです。

母に関しては、凄く記憶に残っている事があるのですが

庭の園芸のために、花を買い明日の朝に一緒に植えようと約束をしました。

私は凄く楽しみで、自分で朝起きてきたのですが、階段を降りると母がもうほとんどの花を植え終わっている所でした。

母に朝早いねと言われ、花を植えるのに起きて来た事を伝えると、昨日の話は忘れられていたようで、なんならもっと早く起きないとと言われてしまいました。

これが初めて約束を破られた時でしょうか。

ショックだったんでしょうね。今でも鮮明に覚えています。

 

小さな事ですが、こう言う積み重ねで人への信頼や期待は簡単に崩れていきます。

気にしすぎ、繊細すぎと思った事は何度もありますが、やはり社会人になり常識を知ってる今でも、おかしかったよなって思います。



家出したかった

当時から他人の家と比べ羨ましいと思うことがありました。子どもあるあるですよね。

 

家族でドラえもんを見ていた時、のび太くんが家出をする話でした。のび太くんが夜な夜な家を出た時に、母が「こんな子嫌だ。」とのび太くんを全うに否定し私に「アンはそんな事しないよね?」と言ってきました。

適当に「しない」と返したけど、のび太くんに同感しまくってて気持ちの中ではめっちゃ家出したいと思ってるっていう記憶がありました。

ほぼ洗脳に入ってそうな当時でも、この家が嫌だったんだなって。

 

また、実際に家出しようとした事があって

当時、悪い事をしたら家から出されてたんです。(この時代だと普通にあることで、周りの家庭でもやっていました。)

実はあまり嫌じゃなかった。暇だなってくらいで恐いも何もなかった。

それで、そのまま何処か行こうかなって、あわよくば別の場所で暮らせないかなって薄々思うようになってある日に、ドアの前から離れ遠くへ歩いて行ったの。

すぐに見つかって連れ戻されたけど、あれから外に追い出されることは無くなりました。

 

HSP気質だったみたい

今でこそよく聞くHSP、当時はHの字も聞かなかったわけですが、最近snsなどで紹介されてるの見た時に昔の自分に当てはまり過ぎていました。

大きな音が苦手でした。大音量のテレビや人の声、掃除機の音。恐いけど周りが平気だから我慢してました。

そして、人が怒っている所、泣いている所が駄目でした。それが例えドラマやアニメの演技でもです。

テレビや映画で、誰かが感情的になるシーンは辛くなるのでまともに見れませんでした。

子ども向けアニメでも戦闘シーンはとばして見ていたりするほどです。

アンパンマンのシリアスシーンでさえも苦手でした。

今は、フィクションだと割り切れるし違う子が前に出たりするので平気ですが、ニュース番組やsnsでの突然くる悲報は未だに辛くなるので見れません。

その他、周りの顔色、声色、動き、音、感情にすごく敏感だったりで思い返すとザ!HSP!て感じでした。

私がその気質じゃなかったら、あの二人の言動も華麗に避けられたのかなって今もずっと思ってます。

 

人前で泣きたくない

よく泣く妹を見てますからね。同類になりたくなかったのでしょうか。

シンプルに、当時の性格が負けず嫌いで強がりだったからって言うのもあります。

泣いたところで何になるんだと人を不快にさせるだけだから泣く意味ないよなって冷静に思ってた事もあります。

 

保育園であった嫌なこと

花があると母はよく、それで花冠やネックレスを作ってくれました。

私の住んでた所は田舎なので秋になると彼岸花がそこら中に咲きます。

彼岸花も綺麗なネックレスが作れる花で保育園へ送ってもらった際に、近くに咲いてた彼岸花でネックレスを作り私につけてくれました。

それが凄く嬉しくて私の母との良い思い出の1つです。

[だから私は花が好きでした。]

で、そのまま登園します。

綺麗なネックレスだから褒めてくれるだろうと思いきや、友達が私のつけてるネックレスを見るなり、この花は毒だから持ってたら駄目だとと言われてしまいます。

困惑しましたよね。

私が個人的にしたのではなく、あの教育者であるトップ•オブ•ママおすすめの彼岸花のネックレスですからね。理解出来ずにいると、まあ色んな子から責め立てられました。

挙句に、先生が参上し特に納得できる説明もせずに「ゴミ箱にネックレスを捨てなさい」と言われ、えぇ...てなりながらこの手で捨てさせられました。

親に作ってもらったネックレスを悪く言われた挙句に、捨てさせるなんてショックですよね。

今、思い返しても保育士がなんであんな対応するねん!って思います。

せめて、預かっとくとかにして欲しかった。枯れるにせよ当時の私にとっては宝物だったのに。

 

お人形遊びが好きだった

1人遊びの時は、お人形遊びをしていました。

むしろお人形遊びは、1人遊びじゃないと嫌でした。

シルバニアもありましたが、抱えれるサイズから当時の私と同じサイズのぬいぐるみとのお人形遊び?が私の中で印象深いです。

シルバニアとは違いぬいぐるみは、遊びと言うよりか"ぬいぐるみと"話をしたりごっこ遊びをする感覚でした。

話をする時は、声に出すのではなくテレパシーみたいな感じで心の中でやります。声に出すのは恥ずかしかったのでしょう。後、聞かれたくも見られたくもなかった。

家族には話せない事、愚痴や嬉しかった事などたくさん話しました。

親代わりでもありました。

寝る前に親とするおやすみのハグを親がしてくれなかった時は、代わりにやってもらいました。私が当時無意識に感じていた寂しさをぬいぐるみ達が埋めてくれました。

家族でした。

私のイマジナリーフレンドの始まりは、このぬいぐるみからの派生なんじゃないかなって思います。

 

この時既にイマジナリーフレンドがいた

この時からというか物心ついた時からイマジナリーフレンドはいた気がします。

誰かの声が聞こえるのが普通でした。自身の意思で動くこともありましたが、その声の指示で動くことがありました。それが、あのぬいぐるみ達からなのかは分かりませんが、何人かいた印象です。

聞く限りだと、わんこちゃん、お嬢様、大佐ちゃん、ルイ?あたりがいたのかな。

治らないものは治らないのか

私はもともと自己肯定感が低く。

自分の嫌いなところが沢山ある。

こう言う人になりたいって言う思いもある。

 

だから、頑張って治そうとしたし、今まで出会った環境、人達のおかげで克服出来たことや、治ったところも沢山ある。

 

言い出すときりがないので伏せるけど

最近、ふとした時に自分の受け入れられないから治したい『嫌なところ』が出てくる事があって。

あぁ、この歳にもなってもまだ出来ていないのかと自己嫌悪になった。

もう自分のもともとの能力が低いから、これ以上は無理なのだろうか。治らないのか。それがものすごく嫌だ。

その能力の低さを理由にしたくないし、これが自分だと受け入れたくない。

だから、頑張るのだけどそうやってスパルタになっちゃうと駄目になってしまったから

ほどほどにしないといけない。

すごく難しい。

 

治らないものは治らないのか

なら、受け入れるしかないのだろうか、

苦手だから治らないから避けないといけないのか

それが好きな子もいるのに。。

嫌だなあ

 

学生時代のノート[12]

学生時代に書いてたノートの写しです。

日記に歌手になりたいって書いてただけあって、歌作ってました。厨二病時期に書くポエムみたいなもので、今では完全に黒歴史です。

ノートにも歌詞がいくつか書いてあって、写すだけ写します。 

痛くなる覚悟はしといてください。笑

 

ちなみに、1番はじめの「life road」は、自身の応援歌(ダメになりそうな時に自分を奮い立たせるため)として作ってたり、

1番最後の「みんなに」は、辛い中、周りの友達や仲間には恵まれてて、みんなは当たり前のようにしてくれてたけど、私は感謝の気持ちでいっぱいで溢れてつい歌にしてしまった。

この2つは、思い入れ強くて今でも嫌いになれないです。

 

 

日記の1ページ目はこちら

https://anemone-mynotebook.hatenablog.com/entry/2023/05/12/213026

 

↓学生時代のノート本題↓

 

life road

1.苦しい時、悲しい時、どうすればいいの?

だれかにこの気持ち伝える事もできず

やっぱり、私は、弱虫だなぁ…って

思ってはいつも後ろを向いてた

でもね、人前では泣かまいと、外で笑って中では泣いて…

そんな自分をすごいと、自分で褒めて哀れに今を生きている

 

強く生きていたい!

プライドと勇気を持ってまだ未完成な弱い心は、強くなろうと前を向く

 

行ける…生こう…行けるかな…?

life road

 

2.傷ついて、ボロボロになって、死にたいと思う

それが人間のとある衝動

それでも、死ねなくて、これが生き地獄?

無理やり楽しんでいるけど

あのね、幸せとは何?答えは行ってみなきゃわからない

孤独な心は、どんな道を歩めばいいの?どうしたら笑えるの?

 

強く生きていたい!

生きる希望を失ってそれでも戦う弱い心は、キズつくだけなの?

 

生きる…行くの…行けるよね…?

life road 

 

人生の穴に落ちて、抜け出せることもむずかしくて

現実から逃げていたの ホントに弱い心だよね

でもこっそりでも幸せを探してる こういう生き物なんで

 

だから、私には、人生はむずかしくて

それでも、泣きながらも、頑張ってみるの

 

強く生きていたい!

プライドと勇気を持ってまた強くなれるように、弱い心は、立ち向かう

(前を向いていたい!!)

何度も踏み外した道は、きっと何かの役に立つと 後悔はしないよ!

 

行こう…生ける…行けるから…

life road

自分のペースで突き進めー!

My road

 

まいぺーす

oh yeah why ねぇ? あい my give me thing

まったりわかわか歩いてた

why yes? あい my why when what?

なーに?何もない意味もない日

でもそんな時が1番…しあわせ♡

 

1.おもしろかったら笑うだけ 悲しませたなら謝るだけ

人生決まったもの?

悲しくなった時は、そんなにため込まず思いっきり

泣けばいいんだっ!

思った事を詰め込みすぎたら 溜まった重荷がもったいないよ

こばまずにホラッ!

 

oh yeah wow wow I まい love love every

愛する事は大切だねっ

wow what? あい my why why why?

なーんで?笑ってるかわからない

でも、そんな時が1番…大好き♡

 

2.幸せは、儚いものよっ また自分で幸せをつかんでねっ!

人生甘くないっ!

つかれたら休めばいいよ やりたい事は今すぐにやるの

私の人生だもんっ!

あんまりノロノロしすぎても 時間は断然待ってはくれない

前に進め ねぇ!

 

oh yeah ノロ ノロ No No hop step janp!

自由になるのが1番いいっ!

イェイ no? why? go step which when?

ねーえ?いつになったら自由にとべる?

でも、それでも私は…あきらめなーい!

 

my pace 私の my life あなたのでもないよ

私のモノは、私のモノだから_…

oh yeah ねぇ ねぇ where where my happy?

自分でがんばってさがすんだ

Yes? no?(どっちでもいいっー)イェイ イェイ I(笑)

ほーらっ!へこたれても意味がない

こんな私が1番…大好き♡

 

yeah! why ねぇ? あい my give me thing

やっぱり 笑 笑 それでもいいやー

Smile oh wow wow How are you?

なーに?笑っててもいいじゃないっ♡

そう、こんな時が1番………しあわせっ!!

 

星のワルツ

1.夜空を見上げて、今日から今まで

良い日になれたのかなって

うれしい時に見た星は、いっそう輝いて、弾けていた

笑えてくるよ

きっと今日は、良い日になれてるんだよ

こんな星を見た日は

だから、喜びの印に一緒に踊りましょう

 

青い空の下 リズムに乗って

星の数かぞえて 明日も幸せでいたい

 

2. ふと見上げた空に、迎えられるように

満開の星

かなしい時に見た星は、いっそう美しくて切ない

涙がこぼれた

今日は、嫌な日になる前に

良い日に変えてみたいよね?

だから、この夜だけでも楽しく踊りましょう

 

暗い空の下 身を自然にまかせ

星の数かぞえて これで幸せになる

 

あっー 流れ星

見惚れてお願いできなかった

でもいいや

嫌な事は全部、星に流して忘れちゃおうよ

 

どんな日であっても 最後は笑って

素敵な日にするの 私と星の時間

 

広い空の下 手をとって踊ろう

でも手は届かない 大丈夫見えてるよ

 

綺麗な空の下 歌って踊りましょう

星の数かぞえて ほらね幸せになろう

 

君は1人じゃない

 

わがまま

1.今、楽しかったらいいや

イヤなことは捨ててしまいたい

片付けなきゃいけないって

自分では、分かっているけど

何もしなくても消えてほしい イヤなことを

でもそれは私のわがままで 聞いてくれるはずもない

 

もしも願いが1つかなうなら

世界中のイヤなこと消してしまいたい

でも人は自分でやらないと成長しないから

願いすらもない…自分で片付けなきゃ

 

2.この時間がしあわせ

時間よずっと待っててほしい

でも待ってはくれないって

幼い頃から知ってる

ねぇ一生のお願いだから 叶えてよ絶対…

でもそれは私のわがままで 何もおこらない

 

もしも私がどんな努力をしても

時間は進み続けるけど

その分、良い事もあるはずだから

わがままでもやってみる

 

世界のみんなが幸せになってほしい

イヤなことは失くなればいい

そんなわがまま叶うわけがないの?

自分次第で人生は変わるよ

 

もしも願いが1つ叶うなら

やっぱそんなのいらないよ

自分の力で叶えてみせるから

ここで生きるために ステキな日々を

 

I have HARTS 

1.こうしてるのが好きだから いるの

誰が文句言おうと私の勝手でしょ?

常識くらい分かってるから 大丈夫

いつまでもバカにしないでよ

 

あんたもそんなこと言う前に、相手の気持ちくらい考えてよ

人間自体がバカで、自分の事ばっか考えて

こんな(こんな) 世の中を(もうくだらなーい)生きてゆくの!

 

恐くなんかないよ でもそれは強がりで

本当は 恐くて 前に進めないの;

どんなに平気な顔をしても 何思ってるか分からない

それでも 信じる 人間ってよく分からないよ

 

2.一緒にいるのが好きだから いるの

嫌いなんなら言ってよその方がいい

あんたが私のこと嫌いだったら きっと

私もあんたのこと嫌いになっていく

 

それでも好きだと思える感情、ウザイけどスゴイと思う

苦しくても笑ってられる仲は、本当の仲良しなんじゃない?

そんな(そんな) 世の中を(あぁありきたり) 生きてゆくの!

 

 

寂しくなんかないよ 1人は慣れてるから

でもね やっぱり 賑やかなとこは好きなの;

やっぱ人間って言うのは 1人じゃ生きてられないんだ

そんな 常識 今さら気付くなんて

 

うれしい?イライラ?かなしい?たのしい?

今、どんな気持ち?

自分の事は、ちゃんとわかっているのかな?

どこへ行くのも私次第 この気持ち次第

そうね(そうね) 人生を(楽しまなきゃ) 生きてゆくの!

 

笑っていたいんだよ でも半分は嘘で

本当は 泣きたくて しょうがないんだ;

I have the HARTS みんなみんな生きている

そうやって 今日も 悲しみ笑い過ごしてる

 

愛まいピエロ

アイシテルと言って 嘘でもいいから…

 

1.ねぇ、今わざと転んだでしよ? 私を笑わすために

どうしてあなたは、私の笑顔がこんなに見たいの?

私のためにそこまでやって何がしたいの?

全てが矛盾してて、真実とかイミフメイ

ピエロが発した言葉

今、あなたは、現実逃避してる(笑)<アハハ>

 

嘘だって言ってよ? ウソだって教えてよ!

私を笑わすために面白いジョークを話してよ!…

真実なんて信じない 嘘だらけのこんな世界に

信じて笑えるのはこんなピエロしかいなくて…

 

2.あっ今、嘘をついたでしょ? 私をキズつけないために

意外に分かりやすいね 本当のこと言ってよ

私のためにこんな事して面白いわけ?

あっごめんね、私、素直じゃないみたい

ピエロが発した言葉

そうだね あなたは 人間だからねぇ(笑)<アハハ>

 

嘘だって言ってよ? ウソだって教えてよ!

私のキズを癒すためにおもしろおかしく守ってよ!…

何も信じたくないんよぉ ウソは簡単だから

受け入れられるのはあんなピエロしかいないの…

 

君が私に見せてくれること、聞かせてくれること

なんとなく愛を感じるの

でもウソかもしれない でも愛されたいよぉ

(笑)<アハハ>

 

嘘だって言ってよ? ホントでも教えてよ!

どんなに裏切られても信じる強さがほしいのっ!!

君はまだ側にいて 笑える自信もないし

私が必要なのは、まだピエロしかいないけど…

 

あいしてると言って信じるから…

 

 

この歌詞、何年後かに書き直してあって2番の歌詞が全く違うので、書き直し後の2番歌詞も写しますね⬇︎

 

2.あっ今、嘘をついたでしょ? 私が傷付かないために…

意外に分かりやすいね いつもいつもアリガトウ

たった5つの言葉も上手く言えなくて

あー私おかしい? あなたはどう思う?

ぴえろが発した言葉

そうね あなたは 人間だからね!(笑) ?

 

With you

遠い遠いその先には

大きな大きな壁がある

それなのに君は

空を見上げて

世界は広いと笑うんだ

 

どんなに苦しいときでも

そんなのヘッチャラさ!なんて

そうゆう人になりたいね

手を繋いで行こう!

本気を出せばボクらは

強くなれる

何もこわくないよ

 

遠い遠いその先には

恐い恐い扉がある

それなのに君は

わくわくするねって

走ってゆくんだ

 

どんなに先が見えなくても

笑って突き進んでく

そうゆう人になりたいね

手を繋いで行こう!

はぐれないようにボクは

1人じゃない

このまるい地球で

 

 

怖いよ苦しいよ

もう嫌だいやだって

絶望して座り込むボクに

手を差し伸べて言うんだ

さぁ一歩だけでも踏み出そう!

 

どれだけキズつけられても

何度も立ち上がって行く

そうゆう人になりたいね

どこへでも歩いてゆく

大丈夫!だってボクは

弱くないんだ

 

どんなに真っ暗なとこでも

一歩一歩進んで行く

そうゆう人になりたいね

手を繋いで行こう!

この足で進んで

どこまでも行ける

君と一緒なら

 

 

みんなに

苦しいことも嫌なことも

みんながいたからやってこれた

何かあってもなんとかなる気がした

振り回してばっかなのに

役立たずなのに

そんな私を一員として考えてくれた

なんだか胸が痛むよ

 

ありがとう ありがとう

ごめんね ありがとう

私の日々を照らしてくれた

今なら声をたてて笑えるよ

ひとみしりな私より

 

 

胸の内に抱えた重い不安を

みんなが笑うから軽くなった

今までの恐怖を吹き飛ばせる気がした

面白い事も言えないのに

場の空気も良く出来ないのに

そんな私を一員として見てくれた

嬉しくてたまらなかったよ

 

ありがとう ありがとう

ごめんね ありがとう

ただの思い違いかもしれないけど

今なら上手く云える気がするよ

不器用な私より

 

 

恩返しとかできたらいいのにな

こんな私じゃできるわけなくて

もっとみんなに笑ってもらいたいの

せめてもの"ありがとう"の気持ちも

うまく伝わった気がしなくて

それでも

 

ありがとう ありがとう

ごめんね ありがとう

この運命にもありがとう

もしも私のこと嫌いだったとしても

私はみんなのこと大好きです!

最近のおきて

おきてと言うか今年の目標みたいなものなんですが。

学生時代のノート[11]に書いてた「おきて」より、あれからも自分の中で1つ2つ、目標みたいなものを決めて今までやってきました。

積極的に行動するとかね。おかげで、出来ることや克服できたことが増えて嬉しい限りです。

 

最近の目標というかおきては、

ありがとう、ごめんねを忘れないこと

ただ思うだけでなく、ほんの些細なことでも忘れずに、言葉にして伝える事を意識して今は生きてます。

癖付いたらきっと素敵な人になれると思うんだ!

 

どこかでも書いてますが、発達障がいを疑うほど、不器用で周りよりも劣っているような人間です。周りと比べれば、現代社会を生きていく上で、苦手な事、出来ない事が物凄く多かった。客観的に見れば別にそのままでもいいんじゃないって事でも、私はそれが凄く嫌でした。

だから、昔からおきてを作って実行してます。嫌な自分を直すため。

昔は、自分で自分の首を絞めまくってましたが、これをしたおかげで今は、好きな自分になれたし、たくさん克服できて嬉しい。これからも続ける。

もし自分に自信がなかったり、出来ない事があって悩んでるなら、小さなおきてを作って癖付くまで意識してみて。

難しい事は、スモールステップで行きましょう!

学生時代のノート[11]

学生時代に書いてたノートの写しです。

今回は、ノートの1番後ろのページに書いていた「おきて」を写します。

これから生きてく上で心に留めておきたいこと。気を付けていきたいこと。気合いを入れたい時。など忘れないように書き留めてました。

経験してこうしていった方が良い!って思ったら、都度増やして行ってました。

くっさいこと書いてるけど、当時中学生だったんで…。ですが、この「おきて」が今まで生きていた中で支えになってた気がします。

 

日記の1ページ目はこちら

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↓学生時代のノート本題↓

おきて⭐︎✳︎

 

○終わった事を思うより先の事を思えっ!

○こーかいはしないよう努力する!

○できるだけ人前でわ、泣かんよーにっ!でも1人の時は、思いっきり泣けばいーよっ♡

○約束はできるもんなら守りぬけっ!

○強くあれっ!

○キチンと、現実と自分と向き会う事

○何があっても逃げないっ!でも、自分を守るため、避けなければ行けない時がある

○自分を信じ、相手も信じる

○勇気、プライド、元気をもつコト

○できるだけ全ての事に対して裏切らない

○思いやる事

○心、ヒロく、安らかに

○たまにわ、心をオニにしなアカン時もある

○思いあたればすぐ行動

○Never give up!

○信じる事わ大切

○笑わ、ええもん。忘れやんとって

○相手の心を思いとる

○自分の人生をどう動かすかわ、自分しだいっ

○人生にわアクシデントがつきもんっ。かくごせぇ!!

○立ちむかわなっ!

学生時代のノート[10]

学生時代に書いていたノートに挟まっていたルーズリーフの写しです。

 

辛い時、1人じゃないことを忘れないように、これを見て元気だしてた記憶があります。

いつ誰が書いたか分からないのですが、中学の時の問題集を解いたものの裏に書いてる感じだったので、高校受験期間に衝動的に書いたっぽい。

字体がいつもの書いてた字(日記の字)と全く違って、みかちゃんの字体だった。

みかちゃんも「書いたかもー!でも私そんな事考えてたのかな」って感じで、みかちゃんがこんな事言うような子でもないし、もしかしたら書かされたのかもね。

 

 

日記の1ページ目はこちら

https://anemone-mynotebook.hatenablog.com/entry/2023/05/12/213026

 

↓学生時代のノート本題↓

 

大丈夫!

君は1人やないからっ

いつでもとなりで

笑って泣くからね

もう逃げないからね

今までつらい思いさせたね

ごめんね

君はすごく弱いのに

根性だけは強いよね

だから逃げなかった

これからは

私達がちゃんと守るから

いっしょにこの世界に

立ち向かって行こ!!

 

でもね

つらくなったら

あの場所へ行こうやっ

少しぐらいええよっ!

きっとみんなも歓迎してくれるハズ

君のキズもちゃんと治してくれるでっ

そうやって私ら不器用やけど

がんばっていこな

やってコレ、私らが望んでしもた

人生なんやもんっ

やるしかないっしょ!

 

 

学生時代のノート[9]

学生時代に書いていたノートの写しです。

プライバシーな事も書いてあるので省いたり、人に見せるために書いてなかったので汚い文章を見やすい様に少し修正してます。

ほぼノート1冊使うほど長いので、2~4ページごとに分けてあげていきます。


初めての方は、こちらの記事を読んでいただくと内容が分かりやすいです。

http://anemone-mynotebook.hatenablog.com/entry/2018/10/26/mymind

 

1ページ目はこちら

https://anemone-mynotebook.hatenablog.com/entry/2023/05/12/213026

 

これで最後になります。

前回のノートから全く書かなくなり数年経ち、今回ので大学生になってます。

本題にも書いてますが、保育学生になり、色んな事を学び経験していく中で、今までの言葉に出来ない悩みやモヤモヤが分かってきた時です。

今回は、私の中での大きな出来事の1つが書かれてます。これはよく覚えている。

日付けなし、無題、字が大きく荒いです。

こうなった流れとしては、当時、親が帰ってくるまでにやる事(犬の散歩など)を出来ていない事が多く、そのせいなのか毎日、親は帰ってくるなり、出来てないんやろ!と、あれしろこれしろと怒鳴るように叫びます。私は、親の声が苦手で、特に大きな声を聞くと、動悸がして喉がつっかえて、終いには動けなくなってしまいます。どう表現すればいいか分からないけど、頭がおかしくなりそうだった。今回も、布団に潜り耳を塞ぎ、親の怒鳴り声が収まるまで耐えてました。親からしてみれば、無視されてるようなものだから、怒りはヒートアップ。部屋で布団に潜り込む私の元へ行き怒鳴り散らかしました。そこで、私は、その声が恐くて動けないと言ったはず…!これが親に初めて言えた自分の思いです。「はい」と「ごめんなさい」しか言えなかった私が大学生になって初めて言えた。

今思えば、なんでそんな育てられ方をされてるのかって感じです。毒親だったんだなって実感する。

そして最終的に、スマホ触ったりゲームしてるから何も出来ないんやろ!と言われ没収されたんだっけな…。私は、布団から出られなかったから、部屋を漁られそうになって焦ってスマホとゲーム機の場所を口頭で教えたっけ…。そこまで細かく覚えてないけど確かそんな感じだった。

 

"私を乱暴に扱った"と、良い感じに書いてる所がありますが、布団に包まる私を布団から剥がそうと、引っ張ったり、布団越しに殴られてます。

また、当時、私は犬のお世話係でした。全くしていないような書き方をしていますが、学校やバイトで疲れてやるタイミングが遅くなってただけで、餌やり散歩毎日やってたはず。鳥は、私個人で飼ってて、全て私がやっていました。家族が、たまに私の部屋に無断で入り、餌や水がなくなってたと言って勝手に変えてたからか、何故か私は何もしていないような扱いを受けてました。え?昨晩に水変えたけど?ってなる時もあったし、大して世話してないのに、自分の都合の良い時に見に行ってその時の気分で世話してるのに何言ってんだって当時めちゃくちゃ腹立ててました。

そして現在、1人暮らしをした私のいない実家では時折、犬の散歩や餌やりを忘れられていたりして、昔あんなに私にうるさく言ってた癖にって思います笑

 

 

↓学生時代のノート本題↓

 

 めっちゃ久しぶりやな。たえれたんよ。なんだかんだで。毎日すごすのに必死やった。自分を守るのに必死やった。修行のためだと思って、あえて厳しい環境えらんで、ものすごーく後悔して。でも自分の夢ぶちこわしてまで、行って良かったと思う。すごく苦かったけど克服できたことがいっぱいある。思いもよらない結果になったけど、いつか楽しい人生になると信じて頑張る。

 やっぱりこうやって書き出した方がええな。これからもそうしよかな。中学の頃の話を見てると恥ずかしくてたまらんねん。やぶりすてよかな。黒歴史ふえると思ってやめてた。でも、置いてて良かったな。でもやっぱり昔の私も頭おかしいわw

 なんで書いてると思う?頭めっちゃ痛いねん。体も痛い!!ストレスと気持ちを静めるために、ゲームとネットに逃げて、忘れて切り替えてたんよ。今までは。でもそれがなくなった。とられた。とったらなんでも改善するてゆー思考ほんまにおかしいよね。頭わるい!

私は、全部私のせいやと思ってた。何も知らんから、教えてもらったことを信じて、いや、今思えばあれはほぼ悪口!!ママが言ってることは正しいと思うやん?そう思わせるようにさせてんのもなんかおかしいなと思うけども。ママが怒れば、全部私が悪いんやと思ってた。納得いかんこともあったけど、まぁそれは長くなるから後にして。でも違った。保育の勉強をしてて、だんだん、ママがやっていることが間違ってたんちゃうかって思うようになって、今、私がこんなんなんも、ママのせいなんちゃうかって思ってもて、すごく憎くなって、こわいから怒りに変わってた。他にも色々不満あるんだけども。でも、子育てに正解がないし、難しいのも分かってるから、しょうがないとも思ってる。でもでも!!自分が嫌でネットで検索したり、自分の今の症状とか検索したら、その半分くらいの原因が"親の育てられ方""小さい頃の環境"だった。保育でも習ってたから、やっぱりそうかって思ってたけど。自分の小さい頃のことを思い返せばあの時「こうすれば良かったのに(ママが)」「どうしてあんなこと言うの?本当に私のことを思っているなら、どうしてこう言わないの?」とか、知らなかったんだろうと思っていても、育児とか色々ストレスがあったんだと思っていても、それでも良く育ててくれたよと思っていても!!憎くなってくるのっ!!あなたは、私と同じ、保育を学んで大学という所へ行ったのに何を勉強したの?って。なんだかんだでおじいちゃんに行かせてもらってるじゃん。お金を払ってもらってさ。1人暮らしもできてたね。本当に羨ましい!!だからこそ憎さが増す。お金がないのはしょうがないにしろもっと言い方があったよね!!あんな突き放したようなこと。相談しても無駄だったんだね!!その憎き相手の言葉を素直に受け止められるわけもなく。まず言い方の問題もあるんだけどね。もういいや。すっきりしたから今日の本題に入ります。明日のためにも。

 

 今日は、初めて、ママと喧嘩したと言うか反抗?できました。嬉しかった。上手く相手に伝えられなかったにしろ、ちゃんと自分の思ったことを、あのママに言うことができた。成長した気がして嬉しかったというか、もう!自分の口で言えたことが初めてで!本当に頭の中がぐちゃぐちゃで、このまま幽体離脱する勢いやったから、ちゃんと言えてなかったけど。でもまあ全否定されたんだけどさ。

 でも悲しかった。余計に信用できなくなった。本当にどうして気付いてくれないの?気付いていたとしてもどうして、あんな態度をとるの?気付いてたらあんなことしやんか。流石にあの<妹>でも気付いてたんじゃないか。どう見ても、私、おかしかったよ!!自分でもバカバカしい、恥ずかしいって思ってたけどあれが素なんだって、本当にママの怒鳴り声が嫌いでこわくてこわくて仕方がないんだって!!あの時、私は、自分を守ることしか頭になかった。そう言う状態にさせたのはママだよ!!あんなこわい声のする人の方へ行きたくないんだよ!!こわいんだよ!!こわくて体が動かないんだよ。

久しぶりに過呼吸になりかけた。あれなったのか。治し方知ってるから、ゆっくり腹式呼吸しようとしたけど無理だったやばいと思ったね。家族に見られたって。そうなっても、私が反射的にさけんでしまった「やめて!!」「こわい!!」「いたい!!」を聞いても、あなたは何も態度を変えずに私を乱暴に扱った。怒鳴った。全部私が悪いと否定し、自分は間違ってないと言いはった。言ってることは間違ってない。でもやってることは間違ってる。「どうして?」って聞いてほしかった。「どうして聞いてくれないの?「こわい」って言ったの?泣いてるの?」って何でもいいからさ。分かっていることをひたすら反省しろと言わんばかりに怒鳴ることをやめてほしかったせめて。本当に分からないんだ、気付かないんだって思った。

 私は自分が自己中で自分勝手なのは知ってる。自分が一番大切なんだって、自分を好きにならないとやっていけないんだって!!犬も鳥も私がやらなくたって誰かがやってくれる。でも私は、私を守ってくれるのは私しかいないんよ?身体的にママが守ってくれても、精神面では守ってくれないから、私しかいないから、だから私は自分を優先する。そうしないときっと何もできないし、誰も守れない。今までの経験からきてる。自分なんか嫌いだ。自分はどうでもいいって思って生きてたらいわゆる「鬱」のような症状がでたから、全部できなくなってしまいそうだったから、守らなきゃと思ったんだ。「<あの子>」を。周りが厳しい分、自分に厳しくなんてしてたらつぶれてしまいそうよ。

 今、何を考えてるんだろ?グチを言ってたし。全部、私が悪いと思ってるんだろうな。確かに悪いのは私だけど。全部私が悪いとしても。あれは叱ってるんじゃない。それをあなたが言うことじゃない。あなたはただ、私を傷つけてるだけ。

私を否定しないで!!

全然寝れない、目がパッチリ、頭ガンガンする。つらい。羊でも数えよ…

 

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 しんどい。生きる力がない。でもやらな行かな。どんなにつらくても、やっていけたのに、もうむり、死んでしまいたい。そんなんならいっそ死んでしまいたい。